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グール達の跡を追わせるために放った密偵は、パルパペック軍務卿の予想通り境界山脈に入ってすぐに戻ってきた。
報告は「馬車では登れないはずの険しい山脈に、何故か馬車が通った痕があった」という妙な物だったが。
まさかダンピールが馬車を特殊なマジックアイテムに作り替えたのだろうか? いや、そんな事は無いだろう。
「だが、山脈を越えようとしたのは確実か。ならこれ以上はとても追えないな」
報告を受けたトーマス・パルパペックは、吸血鬼から依頼されたダンピールの始末をあっさりと諦めた。
元々ダンピールの始末は、彼にとって何としても成功しなくてはならないという訳では無い。
失敗しても吸血鬼達が自分を切る事は無いし、命を失う訳でも無い。軍務卿の椅子も、伯爵の爵位も揺るぎない。
ただ別の機会で吸血鬼達のリクエストに応え、財務卿の嫌味に耐え、政敵への対応に頭を痛めればそれで十分取り返せる程度の失敗だ。
勿論、ダンピールには腹が立っているし、プライドも傷ついた。しかしだからといって採算度外視で始末しようとするほどトーマス・パルパペックという男は若くなかった。
「そう言う訳だ。悪いが、ダンピールの始末についてこれ以上お前達の力になる事は出来ない」
だから何時ものように部屋に入って来た吸血鬼の使い魔にも、平気な顔をしてそう言った。向こうも、口では自分の事を揶揄しながらも、ダンピールの追跡は諦めるだろうと予想していたからだ。
吸血鬼にとっても、あのダンピールを何としても倒さなければならない訳では無いのだろうから。
「……貴様の推測では、あのダンピールがグールキングで、今もグールを引きつれて山脈の向こうに向かったのだったな?」
だから揶揄では無く、苦りきった口調で質問を返してきたときは若干の驚きを覚えた。
「そうだが」
「チッ、面倒な事になった。おい、本当にこれ以上力は貸せないのだな? 何とかならないのか?」
トーマスの予想に反して、吸血鬼の声には使い魔越しでもはっきり分かる焦燥が滲んでいた。何か、とんでもない失敗をしてしまったと言わんばかりに。
「冒険者に依頼を出すなり、例の狂信者を煽るなり、どうにかならんのか」
「自分でも無理だと思っている事を口にするとは、随分と焦っているようだな」
確かに兵や騎士を動かさず冒険者ギルドで依頼を出す分には、金があれば可能だ。しかし、一体どんな物好きが普通に越えるだけでも命がけなのに、途中で幾つ魔境があるか分からない山脈を越え、数百匹のグールと行動を共にしているダンピールを討伐して、そしてまた山脈を越えなければ戻って来られないような依頼を受けたいと思うのか。
それこそ伯爵家が傾くほどの依頼料を用意しても、受ける者はいないだろう。
狂信者と呼ばれたゴルダン高司祭にしても、彼自身はダンピールを追いたかっただろうが神殿から説得され既に次の聖務の為この地を離れている。
「一体どうした? あのダンピールに何かあるとでも言うのか」
「……貴様には関係の無い事だ!」
苛立ちを隠そうともせずにそう怒鳴り返すと、使い魔は窓から外に飛び出して行った。その様子にトーマスは怪訝な顔をしたが、関係無いと言うなら知らないままでいるのが正解かと推測を一旦止めた。
吸血鬼と取引しているとはいっても、別に全ての秘密を共有したい訳では無い。寧ろ、知らないでいた方が良い事が多いぐらいだ。
あのダンピールは確かに何かあるのだろう。そうで無ければ乳飲み子が生き残り、グールを纏め上げるような真似が出来るはずが無い。
しかし、その程度の「何か」なら軍務卿としてのトーマスが殊更警戒するには値しない。オルバウム選王国に、強力な魔物。そういった数々の脅威に、この国は常に晒されているのだ。そこに一つ加わるだけだ。
嬉しい出来事ではないが、蒼白になって慌てふためく程では無い。
軍事力を経済力とのバランスを見ながら徐々に高め、警戒を維持する。それを確かに行っていれば、恐れる事は無い。
あのダンピールとグールの群れがどれだけ勢力を増しても、高位のドラゴンのように城砦を一瞬で破壊出来はしないだろう。
パルパペック軍務卿は、カップの中の紅茶がすっかり冷めている事に気がつくと、使用人を呼んで淹れ直すように頼み、それを飲んだらこれから忙しくなりそうなあの吸血鬼に構わず、休む事にした。
使い魔を軍務卿の館から飛び立たせた吸血鬼……セルクレント・オズバは吸血鬼社会の貴族に相応しい容姿をした伊達男だった。
しかし今は何度も舌打ちをし、ガリガリと頭を掻き、荒々しくグラスの中の赤い液体を煽っていた。
「拙い、拙いぞ、クソがっ!」
ギリギリと牙を噛み合せ歯ぎしりの音を響かせるセルクレントの姿は、他の吸血鬼に見られたら品位を疑われる物だったが、彼にはマナーを気にしている余裕は無かった。
トーマス・パルパペックが思っていた通り、邪神派の吸血鬼にとってダンピールの発生は脅威では無い。イベントだ。
片親が原種なら兎も角、貴種や従属種の場合子供の内は彼らにとってそう脅威では無いので、親共々見せしめに処刑し、それに成功した者は派閥の上位に君臨する者達から賞賛を得る。
そんなゲームでしかない。
しかしそれでもいくつかの例外がある。
それはダンピールが成人する事、独自の勢力を築く事、そしてこのバーンガイア大陸の南……山脈で隔てられた戦鎚の柄の部分に向かう事だ。
それだけは防がなくてはならないと、セルクレントは彼の『親』である原種から命じられていた。
成人したダンピールは親の吸血鬼と同様の戦闘能力を持ちながら、吸血鬼の弱点をほとんど持たない厄介な敵になる可能性が高い。
そして独自の勢力を築くと、その力で強力な組織を作り上げる事がままある。かつて一国を滅ぼし、その国の影にいた吸血鬼のコミュニティが壊滅させられた。それを成し遂げた傭兵団の団長が実はダンピールだったというのは、表社会には知られていないが吸血鬼社会では有名な話だ。
更に、境界山脈に隔てられた大陸南部にはいまだに女神ヴィダを信仰する吸血鬼達が群れている。その数は全体では少ないが多くの原種吸血鬼が生き残っており、中には十万年前吸血鬼の真祖と共にアルダ神や勇者達と戦った者も存在すると囁かれている。
そのヴィダ派と合流されたら、最悪自分達のグループとの戦争になるかもしれない。奴らは信じられない事に、例え混血であってもヴィダの子であると認める恥知らずだから、何をするか分からない。
だがセルクレントはそんな心配をしなくても良かったはずなのだ。裏切り者の、日の光に強い事だけが取り柄の従属種は始末した。母親のダークエルフは、パルパペック軍務卿に情報を流して、結果的にあの狂信者が火炙りにした。
肝心のダンピールは始末し損ねたが、自力で食事も出来ない乳飲み子が一人で生き残る事等出来るはずが無い。
だったというのに何故か魔境で、それもグールの群れを率いているらしい事が分かった。それでもその時は軍務卿が軍を動かしたので、それで終わると思ったのだ。
だから態々自身が出向く事も、配下を派遣する事も無かった。
しかしセルクレントの見通しは甘かった。ダンピールは配下のグールを率いて、何と山脈を越えてしまったのだ。
もしかしたら軍務卿の派遣した密偵の目を掻い潜り、山脈沿いに移動しているのかもしれないが、確かめもせずにその可能性に縋るのが危険である事には、流石に気が付いた。
「クソ生意気な混血児がっ、普通順序が逆だぞっ!」
なんで成人する前に独自の勢力を築いた揚句、危険極まりないあの山脈を越えるのか! ヴァンダルーが聞いていたら「お前らが追い詰めるからだ!」と怒鳴り返さずにはいられないだろう事をほざいて、セルクレントはまず上役の貴種吸血鬼に報告するために立ち上がり、櫛で乱れた髪を整えた。
本当なら失態など報告したくなかったが、それを怠れないようセルクレントは魔術で支配されている。
ミルグ盾国の軍務卿、トーマス・パルパペック伯爵の背後で糸を引くセルクレントだったが、彼も所詮吸血鬼の中ではただの幹部でしかないのだ。
「ああもうっ、何でこんな雑な処理をしてますの!? ワイバーンの皮に肉片が付いてるし、こっちのニードルウルフの毛皮は穴だらけじゃありませんか! どうせ鉤爪で雑に処理したのでしょう、皮を剥ぐときはナイフを使いなさいとあれほど言ったのを忘れましたの!?」
山脈から降りたら、タレアは凄く元気になっていた。まるで別人のような回復っぷりである。
あの衰弱はもしかしたら、ただの高山病だったのかもしれないとヴァンダルーが思うくらいだ。しかし、タレアが高齢なのに変わりは無いので、落ち着いたら【若化】を施そう。
「じゃあ、そろそろ俺達は魔境の中を見てきますね」
一晩休んで魔力を回復させたヴァンダルーは、全員で魔境に入る前に偵察に向かう事にした。レムルースや虫アンデッドでも偵察は出来るが、やはり自分の目で見た方が分かる事は多い。
それに、この廃墟魔境に存在するアンデッドがどれくらい彼に従うか、確かめる必要がある。
メンバーはヴァンダルー以外にはサム、サリア、リタ、骨鳥、ザディリス、そしてランク4以上のグールが数人だ。
守りはヴィガロを筆頭にしたグールの戦士団と、骨猿達アンデッドに任せる。
「皆は、我等に任せろ!」
「ちゃんと帰って来るんだぞ、ヴァン。男は狩に出て、獲物を得て、女が待つ場所に戻って来るまでが仕事だ」
「はい。バスディアも、彼女の世話をお願いします」
ライフデッドの世話を頼んで、ヴァンダルー達は出発した。遠足気分のように見えるが、責任が重大である事は言われなくても彼は自覚していた。
これから足を踏み入れる廃墟魔境で、約六百のグールや魔物達の食い扶持を確保しなければならないからだ。彼らをここに連れて来たのは、他ならぬヴァンダルーなのだから。
死属性魔術で腐敗を止められるから食料の保存に魔力以外のコストはかからないし、山脈から流れる清流が廃墟の中の水路を通っているようなので、水にも不自由しないだろうからそう難しくは無いだろうが、それでも重責は重責である。
「そう緊張するでない、肩が硬くなって……本当に硬くなっておるぞ、坊や」
「あ、そこそこ、ふぅ……極楽」
今年二百九十三歳(若化済)に肩を揉まれる、もうすぐ三歳になる幼児。そういえば、人に肩を揉んでもらうのは初めての経験かもしれないと、ヴァンダルーはあまりの気持ち良さに瞼を閉じかけた。
「いや、これから出発なのに寝ちゃいけない。サム、出発」
パッシブスキルの【状態異常耐性】で、感じた眠気を瞬時に掻き消す。
『畏まりました』
そしてヴァンダルー達は廃墟魔境に足を踏み入れたのだった。
廃墟魔境は、異なる性質の魔境が混在していた。中心部の蔦や苔以外生命の存在を感じさせない魔境と、その魔境の外側を覆うように存在する森に飲み込まれつつある廃墟の魔境。
同じ廃墟だが、明らかに環境が異なっているため出現する魔物が異なる可能性が高い。
そしてそれはすぐに証明された。
「ヂュガアアアアア!」
奇妙な咆哮を上げながら、背中に無数の針を生やした体長三メートル程の狼に似た魔物が襲い掛かって来た。山脈越えの時も現れた魔物で、ヴァンダルー達は「ニードルウルフ」と呼んでいた。
ランク3相当で、狼っぽいのに群れを作らないのか現れる時はほぼ単体だ。
『えいやっ!』
「ギュビ!?」
そして、凶暴だが知能が低い。普通の冒険者なら牙と爪、更に背中を覆う毛皮が変化した針に苦戦するだろうが、リビングビキニアーマーのリタなら、簡単に返り討ちに出来る程度の敵だ。
因みに、ニードルウルフは狼っぽいのに肉はコクがあって美味い。後、腹の毛皮がフワフワと柔らかく衣類や敷物の材料に最適である。
「今思ったのですが、こいつってハリネズミっぽい狼ではなく、狼っぽいハリネズミの魔物なのでは?」
『かもしれませんな、群れも作りませんし』
まあ、どちらにしても一頭で処理が必要な内臓も含めれば二百キロ近い食料が得られる、良い獲物なのは変わらない。
ニードルウルフを血抜きしようとした時、今度は川……水路からザザザバンと水飛沫が上がった。
「シャアアアアア!」
何と、体長二メートルを超えるサメが三匹、水路から飛び上がるとそのままゾロリと牙が生えた口を開いて飛んできたのだ。
「ウオオオオ!?」
「魚が飛ぶでないわ!」
サメが飛んで襲い掛かってくるという光景に驚いたグールの戦士達に先んじて、ザディリスが【空撃】を唱えて空気の拳でサメの内一匹を殴りつける。
続いて二匹目の頭をヴァンダルーが極限まで魔力を搾った【魔力弾】で爆砕し、三匹目をリタがグレイブの【一閃】で首を叩き落した。
『お父さん、私こんな大きな魚初めて見たわ』
『これは、話に聞いたイルカか、クジラかもしれませんな』
「ほぅ、サム殿は物知りじゃな。儂らが居た魔境は、あまり大きな魚や水棲の魔物がおらんかったからの。
それよりお前達、クジラが飛んだからといって狼狽えるとは何事じゃ! ランクアップして弛んでおるのではないか!?」
「す、すまん長老」
「グルル、醜態を晒した。次は、クジラが飛んでも驚かない」
「いや、サメだと思います、よ?」
ずっと海の無い内陸暮らしで海の生物に関して人から聞いた話しか知らないサムや、川魚しか知らないザディリス達にこの魔物がクジラでは無くサメという生物の魔物である事を説明したヴァンダルーは、(そういえばこんなB級映画の地上波放送を見たな)と思いながら、この魔物を「フライングシャーク」と名付けるのだった。
「とりあえず、水路の近くで血抜きするのは止めましょう」
サメは血の臭いに敏感だから近くで獲物の血抜きを行うと、水路に生息するフライングシャークと延々闘い続けなければならなくなるかもしれない。
元々死属性魔術で腐敗を止められるので、血抜きは単に獲物の重さを少し軽くする程度の意味しか無いし。
流石に頭を吹き飛ばした個体は水路から離れて解体しヒレと肝臓だけ持って行く事にして、後はサムの荷台にニードルウルフと一緒に放り込んでそのまま持って行く事にした。
『坊ちゃん、何でヒレを持って行くんですか?』
「正しく加工すると、美容に良い食材になると思うんですよ」
フカヒレって、皮を剥いでから干せば良いんだったかな? 高級食材の予感に上機嫌になるヴァンダルーだった。……肝油の方は、深海サメじゃないからあまり期待しなかったが。
そうして魔境の奥、アンデッドが出る領域を目指して進んでいると崩れかけた建物の傍を通りかかった時――
「あ、建物の中から敵襲」
そうヴァンダルーが言った後で、建物から巨大な鱗に覆われた皮膚を持つ生き物が何頭も飛び出してきた。
爬虫類と同じ縦に割れた瞳、先程のサメに負けない鋭い牙がゾロリと生えた口、ナイフのような鉤爪が生えた後ろ足で立つその姿は、体高二メートル少々程度とはいえまさに恐竜。
しかし、【生命感知】で前もって潜んでいた場所を特定されていたため、不意を打つつもりがグールの戦士達が即座に対応し、一方的に倒されてしまったのだった。
「おおぉぉぉぉ……」
そして動かなくなった恐竜を、ヴァンダルーは感動の眼差しで見つめていた。
ワイバーンを初めて見た時も感動したが、これは確実に恐竜……地球やオリジンでは絶滅し化石でしか見られない生き物である。
地球の小学校で、学校行事の遠足で博物館に行く機会を伯父によって強制キャンセルさせられた事のあるヴァンダルーにとって、恐竜とは古代ロマンの象徴であり、何時か博物館で大迫力の恐竜の骨格模型を見る事が『生きている内にしたい目標』の一つだったのだ。
「坊や、そろそろ進もうと思うのじゃが……?」
「キング、そのでかい蜥蜴、旨いのか?」
『はて、竜種では無いようですが』
しかしザディリス達にとっては竜種では無い、ランク3か4の蜥蜴の魔物でしかないので、ヴァンダルーの様子に困惑するばかりだった。
「……素材として利用する分が十分採れたら、骨格標本を作って個人博物館を作っても良いかな」
ヴァンダルーが周囲の困惑に気がついたのは、暫く夢を広げた後だった。
恐竜……ラプトルからの襲撃後、ヴァンダルー達は更に数回の襲撃を受けた。
何処にでもいるゴブリンに、巨大な肉食トンボのドラゴンフライ等の雑魚、密林魔境ではブゴガン達がほぼ伐採していたため殆ど遭遇しなかったエントも、動きが鈍かったので振り回す枝と蔓に気を付ければ苦戦する相手では無かった。
やや強い相手ではラプトルの小集団と再度、体長五メートルの巨大サーベルタイガーや全身に生えた三十センチ程の角を射出して攻撃してくるホーンベア等のランク4以上の魔物とも戦った。
結果分かったのは――。
『この魔境は随分魔物が多いようですな』
『本当。獲物が多いのは良いけど、殆ど進めないわ』
あまりに魔物が多く、しかもそのほぼ全てが凶暴だ。魔物の方から襲い掛かってくるのはグール達にとって狩りが楽になるから好都合だし、この程度の強さならランク4以上の個体が率いる小隊なら油断しない限り問題無く勝てる。
しかしあまりに襲撃が多く、ヴァンダルー達は廃墟魔境に入ってからまだ一キロと進んでいなかった。崩れた建物や茂った樹木で通れない道があった事を考えても、探索が捗っているとは言い難いペースだ。
「やっぱり、冒険者が来ないから魔物が増えている?」
「それもあるじゃろうが、多分この魔境には儂らと同じグールが存在せんのじゃろう。じゃからニードルウルフのような頭の悪い魔物以外の、臆病なはずのゴブリンや見た目よりも頭が良さそうなラプトルのような魔物が襲い掛かってくるのじゃ。
儂らの力量が分からんからの」
魔物を間引く冒険者が、この境界山脈に左右を挟まれた廃墟魔境には来ない。だから魔物が増え続けている。
それに加えてグールが生息していないので、魔物達はザディリス達グールの力量を知らないためただの「侵入者」として積極的に襲い掛かって来るのかもしれない。
その推測が正しければ、グールが移住してしばらくしてグールが冒険者の代わりに魔物を狩り、グールの強さを学習した魔物達が自分から襲撃するのを控えるようになれば、集落を構えるのに丁度良い環境になるかもしれない。
「まあ、もう魔物は殆ど襲い掛からなくなってきたがの」
ゾロゾロと、サムの後ろを歩くリビングデッドの列――サムに載せきれなくなった獲物を、ヴァンダルーがアンデッドにした物に視線を投げかけて、ザディリスが言った。
魔物の多くは凶暴で、場合によっては同種でも殺し合う事を躊躇わない。しかし、流石に格上の相手には余程飢えるか追い詰めらるか、それとも自分達が有利でない限り自分から牙を剥く事は無い。
自分と同種の魔物を殺しアンデッドにしている光景は、ヴァンダルー達が自分より格上だと魔物にも分かりやすく証明している。
ただ、ニードルウルフとゴブリンは相変わらず無謀にも襲い掛かって来るのだが。
「後は、水路の近くを通らないようにして進みましょう」
「そうじゃな、あれは血の臭いに敏感なようじゃし」
フライングシャークに気を付けて、一行はアンデッドが巣食う廃墟魔境の中心部に進んだ。
到達した廃墟魔境の中心部は、廃墟でありながらある種の芸術と言える良い光景だった。
巨大な城がいまだに聳え、周囲にかつての栄華を思わせる数々の建物が並んでいる。
そして、生命が殆ど感じられない代わりというように、白骨だけになった人型の魔物がそこら中で見られた。
『スケルトン、それもあの大きさは話に聞いた巨人種の物でしょう。どうやら、ここは巨人種の国だったようですな』
スケルトン達は、どれもこれも二メートルを優に超え、三メートル前後の者も珍しくなかった。ただ背がひょろ長いのではなく、人種の物と比べて骨が全体的に太く、頑丈そうだ。
そして建物の損傷が酷かった外周部では気がつかなかったが、この廃墟の建物や調度品は全てが大きく作られていた。重厚な石造りの建物の床から天井までの高さは、四メートルや五メートルは当たり前で、今グールの戦士が拾い上げた小さなバケツのような物は、よく見ると壊れたコップであるらしい。
もし一行の中に元冒険者のカチアが居れば、二百年ほど前にミルグ盾国がアミッド帝国に命じられる形で殲滅と侵略を試みた巨人種の国があった事を思い出したかもしれない。
巨人種。それは魔王との戦いの後、女神ヴィダが最初に生み出した新種族だ。
心臓を砕かれた巨人神ゼーノの眷属の内、悪神や邪神の走狗にならなかった、気高い精神と善性を保っていた太陽の巨人タロスと女神が交わって生まれた種族。
頑健で強靭な肉体を持ち、巨人種の盾職はどんな城壁よりも頼もしく、だが彼らが攻めに転じれば逆にどんな城壁も砕けるだろうと謳われる、戦士の種族だ。
「まあ、実物を見るのはこれが初めてですけど」
ヴィダの新種族を差別するアミッド帝国の影響下にあるミルグ盾国で生まれ、真面に町に入らず生きてきたヴァンダルーは、巨人種を見た事が無かった。
彼だけでは無く、アミッド帝国の影響下ではヴィダの新種族出身の者は冒険者でも希少なので、生前貴族の使用人だったサム達は勿論、ザディリス達グールも初めて見る。
「……実物って骨だけだぞ、キング」
しかし、流石に骨だけの姿で「巨人種を見た」と思うのには異論がある者もいるようだ。
「骨だけじゃないのも居ますよ」
しかしヴァンダルーが指差した、建物の奥から姿を現した巨人種のゾンビを見た途端押し黙った。まあ、納得した訳では無く、言うだけ無駄だと思ったのかもしれないが。
それよりも、パッと見て数百以上存在するアンデッドに対してそんなのんびりしていいのかというと、以前のダンジョンと同じく問題無かった。
アンデッドの多くは錆びた大剣や斧、穂先が欠けた槍で武装していたが、それを構える事無くヴァンダルー達に道を開け、膝を突いて頭を垂れる者が続出した。
その態度はヴァンダルー以外のザディリス達グールに対しても同じで、一切の敵意を向けて来ない。
「本当にテイムしていないアンデッドも大人しくなるのじゃな。襲って来ないだけなら兎も角、ここまで無防備な姿を見せるとは驚きじゃ」
「ええ、俺も最初は驚きました」
一応、自分やサム達のような仲間のアンデッド以外には襲い掛かって来るのでは無いかと、魔術を準備していたのだがその心配も要らないらしい。
気休め程度だが、念のために無属性魔術の【鑑定】をしてみると――
【スケルトンウォーリアー(巨人種) ランク3 殺された巨人種の戦士がアンデッド化した魔物。生きとし生ける全ての存在、特に自分を殺した者を憎んでいる】
っと、思いのほか情報が出て来た。無属性魔術のレベルは1で、昨日ラプトルの死体を鑑定した時は【恐竜っぽい魔物の死体】としか出なかったので、全く期待していなかったので驚きだ。
他にも膝を突いたスケルトンソルジャーやスケルトンを鑑定していくと、名前の他にランクや簡単な魔物の説明を知る事が出来た。
しかし、適当な雑草に【鑑定】を使ってみると、【雑草 雑草だ】としか分からない。
どうやらヴァンダルーの【鑑定】は、アンデッドに対してだけスキルレベルや術者の知識を超えて情報を手に入れる事が出来るようだ。
『それで坊ちゃん、如何しますか?』
「そうですね、彼らは俺の話を聞いてくれると思うので、とりあえずアンデッドのまとめ役的な人がいるかどうか聞いて、移住について話を通しましょう」
【鑑定】で得た情報の結果から考えると。彼らはヴァンダルーが作った骨人とは違い、死体の元の持ち主の霊が死体にそのまま宿っているらしい。
なら話が通じるかもしれないとヴァンダルーは思うのだが、普通はアンデッドと交渉しようとは誰も考えない。
しかしサム達のように流暢に会話し意思疎通できるアンデッドに慣れているザディリス達グールは、その方針に異を唱えなかったし、実際ヴァンダルーの意見は正しかった。
廃墟の中でも特に壊され一部崩落している神殿のような建物から、他のアンデッドとは風貌が異なる魔物が現れたからだ。
『おおォ……なんと……っ』
骨に皮が張り付いただけのミイラのような身体に、裾が破れ所々黄色く変色しているが聖職者っぽい衣を着たアンデッドは、真っ直ぐヴァンダルー達に向かって歩いて来た。
おお、おお、と感動なのか何なのか分からない声を出しながら近づいてくる、三メートル近いアンデッドにグール達は困惑しながらも武器を構え、サリアとリタも困惑を顔に……もとい、挙動に表す。
だがそれ等が目に入っていないのか、アンデッドはヴァンダルーの前まで来ると崩れるように膝を突いて、こう言った。
『神託の御子よ、よくぞこの『太陽の都』タロスヘイムに御降臨くださいました。ただ塵に帰るのを待つ我らに、救いをお与えください!』
アンデッドの言葉にザディリス達はより困惑を深くしたが、ヴァンダルーは無言のまま彼を見ていた。
尤も、無表情で常に目が死んでいるから落ち着いているように見えるだけで、実際は困惑しすぎて「また二つ名が付くような気がする」と妙な予感に意識を飛ばしているだけなのだが。
【死属性魅了のレベルが上がった!】
・魔物解説 アヌビス
死属性の魔力に胎児の頃から浸っていたために生まれた、コボルトの変異種。基礎的なランクは3
全ての身体能力でコボルトを上回り、知能も例外では無い。ただしコボルトに在る手足の鉤爪が無いが、その分指を器用に使う事が出来る。
生まれつき【闇視】や【状態異常耐性】スキルを持ち、更に魔力のステータスが高く通常のコボルトよりも魔術に対して適性を持つ個体が多い。
性欲と繁殖力は通常のコボルトよりも劣り、一度に多くても三つ子程度で、生まれた子供が成体になるのに必要な期間は通常のコボルトが三か月であるのに対して、十か月程かかる。
姿は、黒い毛並みの犬の頭部と尻尾を持つ、浅黒い肌の人間といった容姿をしている。頭と尻尾をうまく隠す事が出来れば、人間を装う事が出来るかもしれない。
寿命は推測だが、通常のコボルトが三十年ほどであるのに対して倍以上であると推測される。
種族として生まれたばかりなのでどのような上位種が存在するかは不明。
冒険者ギルドに証拠と共にアヌビスの存在を報告した場合、未知の魔物の報告であるため多少の報奨金を手に入れる事が出来るが、現状は困難である。
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